"GLOBAL BEARING"の背景
 我々は、感覚器官による知覚によって環世界・イリュージョン[*1]を構築し 、その中で生きている。既存の知覚の枠を超える事で、新たな環世界・イリュージョンを構築し、意識を高次へ導くと同時に、新たな世界観を作り出す。

 生物がとらえている世界は、その生物にとって必要なものだけで再構築された世界である。例えば、コウモリは超音波が聞こえるが目は悪く、モンシロチョウは紫外線は見えるが、赤は見えない。ヒトも例外ではない。
五感に知覚できるだけのもので世界を主観的に捉えているに過ぎない。しかし、幸いに人間は、科学的根拠のある理論に裏打ちされた概念によって世界を構築できる知性を備えている。紫外線を見ることが出来なくてもその存在を認識し、日焼け止めクリームを塗る。人間の築いて来た文明は、このような行為の繰り返しであるとも言える。見えない電波を使ってテレビは放送されるし、発電という行為も、電気の存在を確信していなければできなかったことである。つまり人間は、五感を、科学と理論で補い、その環世界を拡張することで文明を持ち得たのである。
 このプロジェクトは、人間が環世界を構築する基盤となっている5感覚を6感覚に増やすことで、人間の環世界を、その基盤ごと高レヴェルへ押し上げ、より高い意識領域へ達しようとする試みである。

[*1].環世界・イリュージョン 「人間以外の動物達も、身のまわりの環境すべてを本能によって即物的にとらえているわけではない。むしろ本能というものがあるがゆえに、それによって環境の中のいくつかのものを抽出し、それに意味を与えて自らの世界認識を持ち、その世界(ユクスキュル [Jacob von Uexxkull 1864-1944]によれば環世界)の中で生き、行動している。」  (抜粋元:『動物と人間の世界認識〜イリュージョンなしに世界は見えない〜』/日高敏隆=著/筑摩書房/2003) また、著者は本文中において、環世界は「客観的」に存在するものではなく、個々の動物という主体によって「客観的」な全体から抽出、抽象された、主観的なものであるとし、それをイリュージョンと呼んでいる。


 ヒトが文明の発展とともに失いつつある感覚である方向感覚を、概念的にしか認識できない「地球」を感覚的に知覚できるほど鋭敏な感覚として再起動する。

 方向感覚という感覚には、非常に個人差がある。五感のそれとは比べ物にならない。また、鳩や馬などをはじめ、野生動物の方向感覚は非常に鋭敏でヒトの及ぶところではない。ヒトはいつから方向音痴になってしまったのだろうか。
 キョクアジサシという渡り鳥は、北極と南極を往復する鳥として知られているが、彼らの方向感覚が、鳩と同じように磁力に因るものであれば、地球が球体であるという認識は無いはずである。しかし、人間の世界でヒトは、知覚できなくても、理論によって証明された概念的なイリュージョンによって、平面だった地球を球体に変え、衛星写真によってそれを視覚でとらえることができるようになった。こうして、我々の世界では地球は球体として存在している。このインスタレーション空間内での体験は、既に我々の概念の中に存在する球状の地球という認識に、新しい感覚からアクセスする行為と言える。