飛行機に。
山口まで。
夜には帰ってくる。
いわゆるトンボ返り。
昨日の授業は、
「自分の作品が完成したと仮定して、観客になって感想を書く」
というものだった。
実はこれが意外と難しく、作品の細部まで考えられていなければ書けない。
自分の場合に関しては、まだ決まっていな部分があるので、
やはりそこだけが、際立って描写が甘く、数人に同じ指摘を受けた。
普段、制作をしながら、頭の中にあるイメージというのは、
制作するうちに固まってくるものであるし、また常に頭のどこかに在るものではあるが、
それをテキストに起こすという行為は、それとは別の、特殊な体験だった。
イメージがテキストとなる時、初めて自分の想像力の隙が、自分に対して露呈される。
考え倦ねながらも、多重の思考プロセスを経て頭の中にイメージを構築してきたはずなのに、
キツネに摘まれた思いがする。
また、自分の理想を他人の言葉でアウトプットする、というのは、妙な恥じらいを伴う行為でもある。
声に出して読むとなると尚更。
当然ながらプライベートな話をするわけでもないし、
感情の描写も、書き様によっては不要なのだが、何故か居心地が悪くなる。
「自分の作品に対する、理想の観客の視点を借りる」ということは、つまり
自分の目指す水準を示すことであり、それはそのまま、現時点での自分の力量不足を示すことでもある。
さらに、同じ研究室の中では、
「技術的に何をして作品を実現し、観客にその感想を持たせようとしているのか」
ということを、お互いに分かっているという事実がそれに拍車をかける。
つまり、『「人にどう見られたいのか?」という問いに答えなくてはならないだけでなく、
周囲は、そのために自分がどんな努力をしているのかを知っている。』
という嫌な状況なのである。
とまぁ、状況は嫌なものではあったが、非常にためになる(アリがちな言い回しになるが)体験だった。
さしあたり、この課題で自明になった不合致を何とかしなくてはならない。
by HIRA