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2005年06月24日
クラス再設計
だいぶ前に設計したクラスを設計し直している。
簡単に言えばマトリックス状の頂点配列の"化け物"みたいなもの。
全ての頂点は三次元の速度と力と座標を持って、互いに干渉し合う。
その全てに対してアクセスできるクラス。
途中まで組んでは、よりスマートな設計を思いついて前に進まない。
前のクラスで動いていた辺りまでは今夜中にもっていきたい。
投稿者 HIRA : 01:48
2005年06月22日
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昨日は夏至だったはずだが、それでも今夜も明るくなるのが早い。
たかが地軸の傾きごときで、日照時間がここまで違い、季節による温度差がこれだけ激しい。
まったく、地球というのは都合の良い位置に、都合の良い傾きで転がっている。
2005年06月19日
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時間旅行展が終わったので、GBセットは博多に移されてから梱包、渡航となる。
新作の方は、GBに振り回されてなかなか進まない。
技術的にも壁があるので、そこだけでも早い段階で越えたい。
具体的には、DVカメラ入力からの画像解析と、web関連。
openCVのMacOSXのリソースがないので、最近はQuicktimeの方から攻めている。
UNIXのシェルコマンドをcocoaから走らせられることを知って、とりあえず使ってみたりした。
去年の制作状況はというと、6/18に、openGLでテクスチャを貼って喜んでいる。
初号デバイスの設計は済んでいたようだ。
記録によると、初めてXcodeを触ったのが6/4である。
9/4日が講評だったことを考えると、あり得ないペースで制作をしたことが分かる。
年単位でのプロジェクト進行に一度慣れると、抜けられないものだが、
去年と比べると全く焦る必要はない。
じっくり詰めていくつもりでいる。
2005年06月13日
外部記憶
大学に入ってから、必修授業はもちろん、共通教育や、情報の選択必修など、多くを受講した。
4年分の講義毎の配布物、レポート、参考資料などが段ボール2箱に全て詰められていた。
3年次からのものは、作品毎に集めていたりしたのだが、
それ以前のものとなると、全て混同されている。
何故か、一昨日思い立って、それらを全て整理することにした。
片付けながら、色々と読み返してみたが、
あまりにも稚拙でここで紹介できるようなものではなかった。
苦闘した跡は随所に認められるのだが、
2年次の作品の図面など、全て我流で書いたもので、本当にひどい。
一方、授業の資料などは、今見ても興味深いものも多く、
当時は居眠りなどしていた自分に一声かけてやりたくなった。
とにかく、全てのものが残っていた。
当時は、適当に済ませたひどいレポートでも、
今見ると、それなりに言いたいことの輪郭を捉えられたり、
当時の混乱した思考パターンが浮かんできたりする。
今になってみれば、実は貴重な資料である。
残しておいてよかった。
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他人が書いてくれたものを捨てられないという、年寄りのような癖があって、
友人の落書きや、書き置きの、実家から届いた荷物に入っていた端書き、
祖父の手紙などが別の箱にまとめてある。
フライヤーなども全て一緒になっていたので、少し整理した。
これも4年も経てば結構な量になっていて驚いた。
何にせよ、老後の楽しみにでもなればいい。
投稿者 HIRA : 02:06
2005年06月09日
乗る日
飛行機に。
山口まで。
夜には帰ってくる。
いわゆるトンボ返り。
昨日の授業は、
「自分の作品が完成したと仮定して、観客になって感想を書く」
というものだった。
実はこれが意外と難しく、作品の細部まで考えられていなければ書けない。
自分の場合に関しては、まだ決まっていな部分があるので、
やはりそこだけが、際立って描写が甘く、数人に同じ指摘を受けた。
普段、制作をしながら、頭の中にあるイメージというのは、
制作するうちに固まってくるものであるし、また常に頭のどこかに在るものではあるが、
それをテキストに起こすという行為は、それとは別の、特殊な体験だった。
イメージがテキストとなる時、初めて自分の想像力の隙が、自分に対して露呈される。
考え倦ねながらも、多重の思考プロセスを経て頭の中にイメージを構築してきたはずなのに、
キツネに摘まれた思いがする。
また、自分の理想を他人の言葉でアウトプットする、というのは、妙な恥じらいを伴う行為でもある。
声に出して読むとなると尚更。
当然ながらプライベートな話をするわけでもないし、
感情の描写も、書き様によっては不要なのだが、何故か居心地が悪くなる。
「自分の作品に対する、理想の観客の視点を借りる」ということは、つまり
自分の目指す水準を示すことであり、それはそのまま、現時点での自分の力量不足を示すことでもある。
さらに、同じ研究室の中では、
「技術的に何をして作品を実現し、観客にその感想を持たせようとしているのか」
ということを、お互いに分かっているという事実がそれに拍車をかける。
つまり、『「人にどう見られたいのか?」という問いに答えなくてはならないだけでなく、
周囲は、そのために自分がどんな努力をしているのかを知っている。』
という嫌な状況なのである。
とまぁ、状況は嫌なものではあったが、非常にためになる(アリがちな言い回しになるが)体験だった。
さしあたり、この課題で自明になった不合致を何とかしなくてはならない。
投稿者 HIRA : 07:54
2005年06月07日
乗らない日2
毎年のことか?
6月は冴えない。
自己暗示は良くないと思いつつも、どうも集中力に欠ける。
今日は朝から学校で授業、その後、ひたすら事務作業をしていた。
集中力が無い時は、事務作業に限る。
何か作ろうなどと考えないことだ。
2005年06月06日
噛み砕いて。
久しぶりにコンセプトワークを離れて、手を動かしてみた。
openGLの視体積を正投射でとって、パースのつかない絵を得る。
これで壁面や床面にプロジェクションしても、理屈的にはズレが出ない。
やはり手が動くと、(と言ってもコーディングだが)イメージが固まってくる。
もう少しで概要が決まると思われる。
と、先日、地元の友人に、
「このページの専門用語が分からない」と指摘を受けたことを思い出す。
しかしながら、これを噛み砕くとだいぶクドい文章になりそうな気がする。
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久しぶりに、理屈を考えるのでなく、実際に手を動かして制作した。
openGLという3D描画のプログラミングで、視界を、一点からカメラでとった場合でなく、
並行光線の影のような視界にして、遠近法を使わない画面を作る。
これで、壁や床に投影して、人が動いた場合でも、視点が定点である必要がないので、
画面と実空間の誤差が無くなる。
プログラミングではあるが、実際に手を動かすと、実際のイメージが湧く。
もう少しで、作品の全体像が決まってくると思われる。
2005年06月04日
乗らない日
ざくざくと何冊か本を読んでいる。
いわゆる拾い読み。
「GLOBAL BEARING」もそろそろ放っておけないので、
色々と調整をしなくてはいけない。
輸送も今度はちょっと規模が違うので勝手が違う。
ベアリングも展示しっ放しで磨いていないので、一度きれいにしようと思っている。
記録の方も整理し切れてないのでよくない。
新作の方に気をとられていて色々と手が届かずにいる。
久々に今日はまったく集中力が無く、何をやってもはかどらない。
制作というのは、一日に正確なノルマが課されるわけではないので、
気が乗らない日は何もしないという選択肢もあるわけだが、
逆に、どこまでやっても「これでよし」という区切りが無いという、脅迫的(?)な面もある。
おかげで週末や祝祭日は関係ない。
「これをやっていれば三度の飯と寝る場所には不自由しません。
その代わり、必ずこれをして下さい。」
「うまくやれば食事も寝場所も手に入りますが、下手をすると何も残りません。
その代わり、いつ何をしても構いません。」
結局、自分にとってどちらがイイかという話だ。
投稿者 HIRA : 22:16
2005年06月02日
特論I ReportPreFix
「結び合わせるパターン」
cf.) 『精神と自然』 G・ベイトソン
前提:進化も学習も同一の形式的規則性の下に収まる。
:人間集団においても進化においても「ものを知る」というプロセスが同一のものである。
認識論に関する基本的概念を、「それ自体が何であるか」ではなく、「ほかのものとの関係において見る」という意味での「定義」に対して用いる試み。
→論理でも量でもない
「ほかのものとの関係において見る」ということとは、「生なき世界」と「生ある世界」を区切っている根底的概念について考察することである。
われわれが生き、われわれという存在を有するこの生物世界全体に関して、いかなる考察が可能か。また、その世界はいかにして統合されているのか。生きとし生けるものすべてを結び合わせるパターンとは?
1. 第一次の結びつき:連続的相同 →個体に現れる反復形態
2. 第二次の結びつき:系統発生的相同 →種の差を越えて認められる共通形態
3. 第一次、第二次の結びつきを有する複数の対を比較することで見えてくる第三次の結びつき →???
→『結び合わせるパターン=メタパターン
=相互に反応し合う部分の演じる舞踏』
*物語
物語で考えるという特性
「行動(行為やしぐさとなって外界に放たれる物語)」→コンテキストと関連
内在的物語である「発生」にもコンテキスト、関連は欠かせない。
「進化」も物語である。
『コンテキスト=時間の中に存在するパターン』
表層的な意識されたレベルにあるコンテキスト≒太古的なコンテキスト
遠く隔たりながら結び合わされているプロセスを記述する際に適切かつ必要な言葉。
『情報伝達というプロセスにおけるコンテキストから意味が生まれ、カタチが決まる。』
→文法と言い換えることが出来る。
幸運にも(?)レジュメ作成と発表に当たったので、とっかかりをまとめてみた。
授業を受けながら、どうしてこの授業を学部生に対して行わないのかという疑問が湧く。
ベイトソンが本書の中で「パターン」に対して言うように、
「情報」も非常に抽象度の高いデザイン対象であり、ゆえに「情報デザイン」は、一見、空虚である。
おそらく、デザインをする全ての人は、この空虚を「視る」ために、グラフィックやプロダクトなどの
各デザイン対象に特化している。もしくは鉛筆でスケッチを起こすのも「視る」ためであろう。
それを抽象度の高いままでデザインの対象として扱おうとするのが
情報デザインのとらえどころの無さであり、強みでもあると踏んでいる。
この抽象度の高い対象に対する感覚を養うことは、難しいでろうが、不可欠なことだろう。
学部生が、早い段階でこの感覚を身につけられるカリキュラムを編成してはどうか。
ソフトウェアの使い方が、授業で扱うべき内容の全てではない。
半端にソフトの使い方を覚えてモノに落とし込むことを覚えてしまう前の段階で、
落とし込まない状態の純粋な抽象概念の扱いに慣れるべきだと感じる。
投稿者 HIRA : 23:55