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2005年04月28日

GB@時間旅行展

トップページは、時間旅行展@YCAMで展示中のGLOBAL BEARING。
実はソフト面もバージョンアップしている。
燈色の球体は、いわゆる内核。
連休中に、YCAMにて記録を撮ってくるので、
その他の改変点の解説も含めて、アップしようと思っています。

投稿者 HIRA : 03:22

2005年04月26日

no title

線に面積は無い。
面に体積は無い。
1/0は無限大。
tan(π/2)も無限大。
漸近線 _ パースのついた無限遠の線路は交わるか?
無限大の0乗は1。
時間の流れに終わりが無いとすれば、全ての定時間は、その長さに関わらず、瞬間に漸近する。

投稿者 HIRA : 23:53

Fwd: 「メディア・アートにおけるリアリティ」

「大学院共通教育 個人研究計画書」というものが存在する。
大学院では、ただ制作するだけでなく、世に出して恥ずかしくない程度の論文は書きましょう。
ということらしい。

・研究テーマ
・研究の目的(動機)
・研究の内容
・具体的な研究の方法
・その他

と欄が分かれている。
欄が大きくとってあるので、動機を詳細に書き過ぎて、内容の欄に書くことが無くなってしまった。

ところで、自分は「メディア・アートにおけるリアリティ」というテーマを設定した。
一見すると、非常に抽象的なテーマだ。
実際には、作品の構成要素として、実世界を取り込むという点を、
メディアアートの特質の一つとして位置づけ、そこから生まれるリアリティを体系化してから、
もう一度メディアアートと呼ばれる領域を眺めてみましょう。
ということだ。

実際、メディア・アートと呼ばれる領域には、
バーチャルリアリティ的なリアリティもあれば、個人の視点としてのリアリティもあるし、
認知科学的なリアリティもある。科学的データに基づいたリアリティもあるだろう。
その他にも様々なリアリティの在り方がある。
それらを体系化して、メディア・アートという表現領域を俯瞰し、自身の制作物の位置づけをする。
また、そのプロセスを通じて、自身の制作に対して何らかの客観的視点を還元する。
それを最終着地点として研究を進めるつもりでいる。

投稿者 HIRA : 01:16

2005年04月22日

名称未設定

秋までを1タームとして新規プロジェクト進行中。
技術的課題も視野に入れつつ、理想をドローイングに起こす。
一つの環境・状況として成立する空間インスタレーションを考えている。
GLOBAL BEARING は、スクリーンとデバイスの二分だった。
元来、環境としてのインスタレーションの方が好みなので、楽しみながら構想を練っている。
ここでは触れないが、コンセプトは明確だ。
早い段階で、形態をフィックスして、技術面の問題に取りかかりたい。

投稿者 HIRA : 23:34

2005年04月20日

春の夜の夢

研究室で、次作のフィックスをしているとき、
三上さんが、昨夜の夢の話をしていた。
図まで書いてあって、見せていただいた。
「巨大な立方体の集合体のようなものが組変わったり増殖したりする作品の夢」で、
バックヤードでは巨大な鉱石が一連のプロセスを管理し、動力を供給しているという、
とんでもないものだったらしい。

自分には、幼い頃から持ち続けているイメージがある。
「夢」の話をしながら、「イメージ」という言葉を使うのには理由がある。
自分は、そのイメージを繰り返し夢で見ている気がしているのだが、
「いつ見ました。」というような具体的な記憶は無い。
が、寝入り際に、ふと頭の中に浮かぶことがあるし、
思い出そうと思えばいつでもそのイメージを引き出すことが出来る。
ただ、いつどこで出来上がったイメージなのか分からない。


真闇に近いノイジーな視界に、幾何学形態が静かに浮かんでいる。
平面ではなく確かに奥行きのある立体だ。
もしかすると正八面体かも知れない。
ゆっくりと回転しているが、どの方向に回転しているか分からない。
大きさも分からない。
が、回転するたびに、大きさが激変し続けていることは分かる。
大きさが変わっているというより、角度によって、見え方が変わっているだけかも知れない。
それも尋常ではない変わり方で、見たところ、原子レベルから銀河レベルまでぐらいだろうか。
せわしなく変わる。
頭が点になって消えてしまいそうな圧迫感がある。
そして同時に、小さくなってゆく頭に対する寝室の巨大さを感じて取留めも無く怖い。
もしくは、自分の意識だけが極小になり、意識に対する身体のスケールが巨大すぎる感覚。


もしかすると、その圧迫感や恐怖が漠然としてあり、
それにイメージが付随して思い出されるだけなのかも知れないとも思う。

脳科学的には、脳は、夢と現実の区別を出来ていないという。
つまり、夢での体験や、それに伴う記憶は、脳の働きとしては現実と同等だということになる。
すると、誰もが持つ、「あれは夢かも知れない」という記憶に対しても納得がいく。
そして、今さらそれを確かめる術は無い。

「リアル」とは何だろうか。
我々が、主観的に感じる「リアル」は、とんでもなく頼りないもののようだ。

投稿者 HIRA : 22:18

2005年04月19日

品質について

新作を構想している。
「そのうち実現したい」という段階のものは幾つかあるのだが、
「今すぐにこれを」というほどのものがなかなか出てこない。
それでも、ここのところアンテナに引っ掛かるものに統一感がある。
これから一週間で大まかに決めていく。

「自分が本当に作りたいものでないと、時間をかけて作り込むことはできない」
つまり、完成度を上げる段階まで達するには、
制作前に、迷いや疑問がほぼ完全に無くなるまで、
その内容をフィックスしておく必要がある。

これは卒業制作から得た教訓の一つだ。
自分に対しては、常にクオリティを求めたい。
それは、「自分が楽しむ/愉しむ事」を前提とするが故だ。
自分が満足いかないものを、他者に見せる事ほど苦痛な事は無い。

「実現したいものを実現することができる、カタチにすることができる」
その楽しさ/愉しさと、モノのクオリティは不可分なものであるし、
また、他者にプレゼンテーションをする上では、
ディティールのクオリティは最低限の礼儀でもある。

人にも自分にも心地よいものを造りたい。
そんなことを考えつつ、構想を練っている。

--
だいぶ昔の話になりますが、
先日の卒業制作展では、" inn_ear_circuit "(通称:ドカン)が、
システム不調のため正常に稼動していませんでした。
自家用マシンでは稼動していたのですが、準備を含め展示期間中、会場に在中できなかったため、
その不調に気付くのが遅くなってしまいました。
見にきて頂いた方々、本当に申し訳ありませんでした。
この事に関しては、いつかお詫びしようと思っていたのですが、忙殺され気味で、
しばらく機会を見つけられずにいました。
クオリティという話に関連して、この場を借りさせていただきました。
また何かの機会に完全なものを展示できればと思っています。

投稿者 HIRA : 22:20

2005年04月18日

吸って溜めて吐く

構想を練るとき、自分が気になるものを、手当たり次第に集める。
脈絡は無くて構わない。
ただ、自分が気になるものだけを、手当り次第に集める。
最近、そのような作業をしている。
自分が気になるものを、出来るだけ吸う。
吐かなくては吸えなくなるまで吸い続ける。
頭の中で、それらが未消化、未分化、未体系のままで吸い続ける。
混沌と呼ばれる状態を故意に作りあげ、飽和・臨界を待つ。
そこから整理し、抽出してパッケージングする。
そのようなプロセスを踏んでものを作ることができればいいと思う。

投稿者 HIRA : 05:47

2005年04月15日

memo

・自律機構
・ネットワーク
・データベース
・ヴァーチャル?
・境界線
・潜在的
・空間が成立する要素
・公共
--
・エスキース帳なくなった
・記録まとめる

投稿者 HIRA : 00:56

2005年04月12日

視線誘導

時間があるので、何冊か本を読んでいる。
長編小説・短編集・歴史小説・メディア論・マンガ、、と全く脈絡は無い。
自分は、「映像」「写真」の特性に対する「文」のそれとして、
具体的な視聴覚データの削減と引き換えに得られる、もしくは、
個人が単語に対して持つ意味の差異による、鑑賞者の自由度をよく引き合いに出すが、
それとは別に、読書中に考えた事をメモしておく。

写真家や映像作家は、写真の構図、シーケンスで見る者の視線を誘導する。
作家は、文の流れだけで、読む者の視線を誘導する。

写真や映画を、能動的な視線で(映画の場合、時間を制約されるが)鑑賞するのも面白いが、
作家が仕組んだ視線を忠実にトレースしていく、もしくは「トレースさせられる」のも面白い。
作家が抱いたイメージが、単語の集積となって発され、自分の中で再構築される。
それは非常に興味深いプロセスだ。
自分にとっての単語の意味は、作家のそれとは別物であり、
従って、そこに再構築されるイメージは自分だけのものだ。
それを許してしまう「文」というフレームの自由度と、そこに仕組まれた作家の視線誘導、
さらには意識や思考の誘導を、同時に体験するのはとても心地よい。

写真にしろ映画にしろ文にしろ、
名作と称されるものは、上記の点を含むメディアの特性を無視していないものだ。

投稿者 HIRA : 23:04

2005年04月08日

around

年度はじめのドタバタしている最中に、帰省中の写真を取り込んでみた。
簡単にコメントも載せてみる。


kubota.jpg
母方の祖父母。
手元は持ち帰った学位証など。


tai.jpg
海沿いでは、近所から魚が回ってきたりする。
写真は、祖母が焼いた鯛。
これもどこからかいただいたものだと思う。


mokuren.jpg
白木蓮、祖母。
この坂道を登ると、納骨堂があり、その脇を登ってゆくと、日本海が見渡せる。
山頂には、天然石をそのまま使った、母方一系の墓碑があり、
その足下には、曾祖父ら先代が棟梁を務め、建立した寺の大屋根が広がる。
当時、棟梁は28歳の若さだったという。
今年、自分は数えで23歳になる。


mochi-tsuki.jpg

mochi.jpg
祖母は季節に関係なく餅をつく。春は草餅。
帰省した日は、祖母は風邪をひいていて、咳をしていた。
話によると、蓬を摘んでいて雨に降られたという。
上京前には、喉もよくなっていたようで安心した。
今日の昼食は、昨日届いた草餅。


hirakawa.jpg
父方の祖父母。
久々に、祖母とゆっくりと話をした。
祖母はこの3日後、自動車の免許の更新に行った。
祖母が免許を取った当時、もの珍しさに女性ドライバーをからかう後続車も多かったという。
祖父は、脚が悪く、杖をつくにも関わらず、祖母の知らぬ間に庭石の配置を変えるという。
話を聞く限り、父親の家系は、性別に関係なく、無茶を無茶と思わない節がある。
この2月3月はその血に助けられたような気もする。


taima.jpg
庭先から大麻山を望む。
正月は、ほぼ毎年、大麻山神社に参る。
今年は雪のため途中で断念した。
この度、大麻山神社にいる先輩とも久しぶりに酒を呑んだ。


wave.jpg
日本海。右がカシマ、左はタカシマ。


sunset.jpg
山陰海岸の夕日は全国的にもワリとよいらしい。
*写真が下手で申し訳ないのですが。
夕日海岸と呼ばれたりする。
が、土地の人は「西日がキツい」程度にしか思っていない。

kaden.jpg
火力発電所。
煙突の高さは200m。密入国船がこれを目印にするという噂もある。
東京よりも朝鮮半島の方が遥かに近い。
ハングルの載った漂流物も多い。
極例では、小学校のとき、韓国放送を家のテレビで見たという同級生がいた。

というわけでまた上京してきた。

--
実家の写真をここに紹介するのは何故だろうか?
とふと疑問に思ったりする。
東京とは明らかに異なる尺度で時間が流れてはいるものの、
あの土地は間違いなく、存在している。
その感覚を常にどこかに持っていたいと思ったりする。

投稿者 HIRA : 16:30 | コメント (4)