rand()%THOUGHT;

« どかん@openGL | main | 朝 »

Nov 09, 2004 / 11:25 PM
「エンジニアリング」と「表現」

「制作中」つまり、「表現を考えるとき」には、「エンジニアリング」は「手段」に過ぎない。

作品の構想が明確であれば、この言葉は正しい。

しかし、「作品の構想を練る段階」では、
「エンジニアリング」は、ひとつのアプローチになり得る。
例えば、作品のインタラクションを考える場合、「その表層で起きている現象」の裏に、
「そのインタラクションを成立させているロジカルな構造」が隠れている。
構想を練る段階で、それが見えているのと、見えていないのでは、大きな差があるのではないか。

アーティストとエンジニアが組む場合を考えてみる。
アーティストは、コンセプトを確立し、作品の構想を感覚的に起こしていく。
エンジニアは、アーティストの構想を実現することを最優先する。

思うに、作品の表面に表れる現象だけでなく、
それを作り出している論理構造にも、コンセプトが反映されるべきであるし、
逆にコンセプトを踏襲した論理構造から発生する現象は、それだけで作品になる条件を満たす。

その論理構造から発生した現象が分かり易いかどうかということは、別の問題として残しておく。


Exで展示するドカンの制作では、上記のことが自然に分業になっているように思う。
大畑氏は、感覚的にコンセプトを練り、作品形態を練る。
平川は、論理構造をその始点とする。
当然ながら、普段、両方をこなしているときには無いものが出てくる。

時間がないのが惜しい。


by HIRA